原爆投下後の広島で生きる少年を描いた作品「はだしのゲン」で知られる漫画家・中沢啓治(なかざわ・けいじ)さんが、肺がんのため、19日午後2時10分に広島市内の病院で亡くなっていたことが25日、分かった。73歳だった。6歳の時に原爆で被爆し、家族を亡くした体験を持つ中沢さんは、自伝的作品を通し、核兵器や戦争の悲惨さを告発し続けていた。
 自身の体験をもとに、作品で核兵器のない平和な世界の実現を訴えてきた「原爆の証言者」が、帰らぬ人となった。中沢さんは晩年、白内障による視力低下やけんしょう炎に苦しみ、執筆を断念。2010年に肺がんが見つかってからは、故郷の広島市で闘病を続けていた。自宅は埼玉県所沢市上安松395の6。近親者のみで家族葬を済ませた。喪主は妻・ミサヨさん。
 広島に原爆が投下された1945年8月6日、6歳だった中沢さんは、爆心地から約1・2キロ離れた国民学校に登校する途中で被爆。父と姉弟を亡くしながら、母や兄と廃虚の広島を生き抜いた。原爆の恐ろしさを伝える漫画の原体験となった。
 手塚治虫作品に刺激を受け、63年に漫画家としてデビュー。作品で原爆被害を訴えることを決意したきっかけは、66年の母の死だった。「火葬したら、骨がなく細かい灰しか残らなかった。原爆はおふくろの骨まで奪った」。生前のインタビューで、怒りを語っている。
 代表作となった自伝的作品「はだしのゲン」を73年から週刊少年ジャンプで連載。主人公の少年・中岡元が原爆投下後の広島でたくましく成長する姿を描いた。体中にガラスの破片が刺さったままさまよう人、川を埋め尽くす遺体…。自身が目撃した惨状を伝えた。
 重いテーマは当時の少年誌では異例。むごたらしい描写は衝撃的で、当時の読者層には“トラウマ漫画”のひとつとなった。「子供が怖がるからやめてほしい」という保護者からの抗議の手紙には「あの光景を怖いと思うなら、お子さんは正常です」と返事を書いた。母の火葬エピソードは、ほぼそのまま作中に取り入れた。
 闘病中は入退院を繰り返し、危篤状態に陥ったことも。遺族はメッセージを公表し、「その(危篤の)都度、不死鳥のようによみがえり、命の重さ、生きることの大切さを身をもって示してくれた」と振り返った。
 「はだしのゲン」は平和教育の入門書として教材活用されたほか、18か国語に翻訳され(翻訳中含む)、海外でも出版された。各版の総発行部数は1000万部。今も核廃絶を叫ぶ人々に力を与え続ける。遺族はメッセージに「今、中沢は星となり、ゲンとともに空から核兵器のない平和な世界の出現を願っていることと思います」とつづった。
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中沢啓治さん死去:ゲンの生き方継承を /広島
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121226-00000272-mailo-l34


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